ロシア人
多くのロシア人、ロシアで普通の教育を受け育った人は「ウクライナをロシア人が解放してあげる」と思っています。歴史的事実など関係なく、捻じ曲げられた教育によって無知の連鎖が起きています。これは、チャイナや韓国、北朝鮮も同じです。その国と付き合う時、その国の教科書を見れば、その国がどのような国家なのかわかります。それとは逆に、日本のように自虐的に歴史を捻じ曲げる国は見たことがありません。未だに護憲などという、どこの世界にもない単語を使い揉めている日本人には、戦争も一つの教訓になるのかもとは思います。そうならなければいいですが、‟敵”の思いはコントロールできませんから。
ウクライナ蔑視するロシア、根深い歴史の潮流
ロシアのリベラル・反体制派でさえ、ウクライナに対するプーチン氏の見解を共有
2022 年 5 月 2 日 07:12 JST
――筆者のヤロスラフ・トロフィモフはWSJ外交担当チーフコレスポンデント
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旧ソ連の当局から迫害を受けていた若き詩人、ヨシフ・ブロツキーは1972年に米国に逃れ、その後ノーベル文学賞を受賞した。旧ソ連時代のキエフ(ウクライナの首都キーウ)では、ウクライナの知識人が「サミズダート(地下出版)」のブロツキーの詩集を交換しては極秘の集まりで朗読していた。
だが、双方の関係は相思相愛とはいかなった。ブロツキーはウクライナが独立国家として存在してから1年足らずの1992年、朗読会で「ウクライナの独立へ」と題した新たな詩を披露した。ウクライナ人への民族的な中傷表現を使って「さらば」と言い放ったブロツキーは、「われわれは共に生きてきた。今ではもう十分だ。ドニプロー(ドニエプル)川につばを吐き捨てることができるなら、おそらく川の流れが逆転するだろう」と続けた。さらに、恩知らずのウクライナ人は死の床で息苦しい最期を迎えるとき、ウクライナの詩人タラス・シェフチェンコの「うそ」ではなく、ロシアを代表する詩人アレクサンドル・プーシキンの一節を再び暗唱するようになると予想した。
「ウクライナ人は実在せず、ウクライナ国家は人為的に生み出されたもの」との考えは、ロシアの文化、文学、政治の主流として古くから存在する。1996年に死去したブロツキーのようなリベラル派の著名人でもそうだった。ウラジーミル・プーチン露大統領のウクライナに関する見解も例外ではない。プーチン氏は昨年、自身の考えを論文で詳述しており、その内容はウクライナ侵攻の準備を進めていたロシア兵を前に読み上げられた。これらは長い伝統に基づくものであり、ロシア市民の間でなぜ今もウクライナ侵攻に対する支持が途絶えないのかを理解する一助となる。
この盲点は、1世紀余り前に国家主権を希求するようになった近代ウクライナの幕開けにさかのぼる。「ロシアの民主主義者はウクライナ人が疑問を抱き始めたところで終わる」。ウクライナの執筆家・脚本家で、短命に終わったウクライナ人民共和国の首相を1917~18年に務めたウォロディミル・ビニチェンコはこう述べている。これはウクライナ政治ではよく知られた一節だ。
ロシアの歴史的な解釈や文学の伝統において、ウクライナ人は愚かだが、気のいい小作人であり、おかしななまりで話すと描かれることが多い。また将来の独立志向は外国の陰謀の産物でしかないとされている。ロシアから移住してきた両親を持つキーウ出身の作家ミハイル・ブルガーコフは、自身の作品の中でウクライナ語をばかにしている。例えば、ある登場人物がウクライナ人は「くじら」という言葉を持たない、なぜならウクライナはロシアと違って海を持たないからだと話す場面がある。画家のカジミール・マレービッチやソビエト宇宙開発の父セルゲイ・コロリョフら、芸術や科学の分野で誰もが認める実績を残したウクライナ出身者は、ロシア人として位置づけられている。
「ロシアでエリート知識人ぶる人の多くはウクライナ人に対して上から目線の態度を示しており、現在ウクライナを支持する反政府派の多くもそうだ」。2014年のクリミア半島併合に唯一、ロシア議員として反対票を投じたイリヤ・ポノマリョフ氏はこう指摘する。「彼らはウクライナをまだ成長が必要な弟のような存在としてとらえている」
ポノマリョフ氏によると、ウクライナが最近生み出されたものだとして軽んじるロシア人はみな、古代ロシア国家の遺産を本能的に感じている。ポノマリョフ氏自身、ウクライナに移住後、こうした考えを見直す必要があったと明かす。ロシア人が建国の父とみる歴史的人物は実のところ、ロシア政府が誕生する以前から数世紀にわたりキーウから支配していた。その一例がウラジーミル大公で、キエフ大公国と呼ばれる王国にキリスト教を持ち込んだ10世紀の統治者だ。プーチン氏とウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の名前はいずれもこのウラジーミル大公に由来する。
ウクライナ人の野心に対してロシア人が敵対心をあらわにする慣習には二つの流れがある。まずはロシア人とは異なる別の人間としてウクライナ人の存在自体を否定するというものだ。これは19世紀をほぼ通じてロシア帝国で浸透していた考え方だ。当時はウクライナ語で書かれた書籍は禁止され、ウクライナを示す言葉そのものが禁じられたため、代わりに「小さなロシア」との名称が使われた。もう一つの流れは、ウクライナ人は独自のアイデンティティーを持ち、かつ自国語を話すと認めつつも、現在のウクライナ領土の少なくとも半分はロシアに属しており、旧ソ連建国の父ウラジーミル・レーニンによって不当に分離されたというものだ。
これはノーベル文学賞を受賞したロシアの作家で、元政治犯であるアレクサンドル・ソルジェニーツィンの見解でもある。ソルジェニーツィンは1974年に旧ソ連から国外追放されたが、1994年にロシアに帰還した。彼は当初、ウクライナ人の苦しみを理解しているとの姿勢を示していた。1968年の代表作「収容所群島」では、ウクライナ人の政治犯との出会いを描き、「単に領土の大きさや国民の数ではなく、素晴らしい行動によってわれわれの偉大さを証明すべきだ」とつづっている。
ところが、遠い将来か、あり得ないと思われていたウクライナ独立が現実のものとなると、ソルジェニーツィンは一転して軌道修正した。これはプーチン氏が昨年の論文で踏襲した見解でもある。ロシア紙モスコフスキエ・ノーボスチとの2006年のインタビューで、ソルジェニーツィンはウクライナ南部・東部およびクリミア半島、ドンバス地方が歴史的にウクライナに属したことは一度もなく、これら地域の住民の意思に反して、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に引き込まれていると主張。「このような環境下では、ロシアはいかなる状況においても、ウクライナに暮らす数百万人のロシア人を裏切り、かつ彼らとの結束を放棄するようなことはできない」と述べた。
プーチン氏は2007年、ソルジェニーツィンが死去する1年前に自宅を訪れており、ロシア最高位の勲章を授与した。プーチン氏はその際、ロシア政府の政策の一部はソルジェニーツィンの思想にヒントを得たものだと述べている。
プーチン氏は2014年、ウクライナで親ロ派のビクトル・ヤヌコビッチ大統領が市民の激しいデモ抗議により政権の座から追われたことを受けて、クリミア半島の併合に踏み切った。ヤヌコビッチ政権が欧州連合(EU)との統合に向けた長年の政策を覆し、ロシアとの関税同盟を目指したことがデモの発端だった。プーチン氏はまた、ウクライナの南部と東部を「新ロシア」と位置づける構想を促進。当然ながらロシア政府が支配下に置くと主張した。
クリミア半島併合はロシア国内でほぼ全面的に称賛された。収監中の反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏ですら当時、クリミア半島はロシアの領土にとどまるべきだと主張していた。ラジオとのインタビューでは「クリミアは返還されるべきソーセージ・サンドイッチではない」と述べた。ただ現在は、プーチン氏がウクライナに仕掛けた戦争に対して声高に異議を唱えている。
2月24日にウクライナへの侵攻を開始するまで、ロシア政府の公式見解は、プーチン氏が歴史的にロシアの領土だと主張する「新ロシア」をウクライナが統治する権利に対しては異議を唱えながらも、ウクライナ国家の存在を渋々認めるというものだった。ロシアのプロパガンダ(政治宣伝)によると、西側の後押しを受けて2014年に実権を握ったとされる一派こそが問題であり、この集団を排除すれば、ロシアと兄弟のような親密な関係を再開したいと望む一般のウクライナ市民に歓迎されるとされていた。
しかしながら、ウクライナの激しい抵抗により、ロシア兵を解放者として迎えるウクライナ人などほぼ誰もいないことが露呈すると、ロシアのトーンは変化した。ここにきてロシア国営メディアの報道や政府の見解は、ウクライナとその文化は単に抹殺されるべきだとの主張にすり替わった。ロシア軍に占領されていたブチャのようなウクライナの町で市民が大量に殺害されていたことも、これで説明がつく。
ロシア国営通信RIAが4月3日に掲載した「ロシアはウクライナに対して何をすべきか」と題する論説では、ロシアに敵対的な態度をとってきた罪をウクライナの一般市民に償わせるべきであり、ウクライナの名前そのものを再び廃止し、複数の地域に分割すべきだと主張している。さらにウクライナのエリート層は身体的に粛清され、残る国民は再教育するとともに「非ウクライナ化」すべきだとも指摘した。
その数日後には、安全保障会議のディミトリ・メドベージェフ副議長(元大統領)がウクライナの将来について似たような構想を表明。ロシアが勝利した後は、ウクライナ国家はナチスが支配したドイツ第三帝国のように消えると記している。ウクライナ人が心に深く抱いている分離・独立国家に対する意識に関してはこう述べている。「反ロシア派の悪意によってあおられた大きな偽りであり、自らのアイデンティティーに関する包括的なうそだ。そのようなものは歴史に決して存在しておらず、今も存在しない」
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