左翼
下記は、オランダの物理学者の投稿です。日本に限らず学問の場である大学は左翼に牛耳られ、もはや学問の自由など有りません。なぜ、左翼という非人間的な思考になるのか子供の頃から考えた一部を説いてみます。
左翼運動は、人権、平和、寛容、多様性など常に美辞麗句を看板に掲げます。誰もが反対できない事柄ですが、その運動の矛先は極めて恣意的に選ばれているのです。日本の場合、左翼の人権運動は北朝鮮による拉致被害者の人権を無視します。平和運動も、中国や北朝鮮の核開発や軍拡に抗議は全くしません。反原発運動も、中国や韓国の原発、原発事故の隠蔽、環境の低レベルには反対しません。これらに共通するのは、周辺諸国が日本を侵略しやすい状態を作り出す方向に運動が向いているとしか私には考えられません。それゆえ、日本では「左翼=反日」と理解されていることが多いのです。日本人の目につく左翼運動にかかわる外国人は、みな反日勢力に見えるため、外国の左翼も反日的であるとの誤解を持つ保守系日本人が多いのですが、それは間違っています。欧米の左翼にとっての最大の敵はキリスト教的価値観に基づく西洋文明です。ですから、イスラム教などの異文化に対する寛容を主張しつつ、キリスト教的価値観を弾圧します。たとえば、米国の大学では学内のキリスト教徒のサークルを解散させるなどの動きがあったり、「メリークリスマス」と言うだけで弾圧対象になったりしています。欧米のフェミニストは女性の権利を主張する一方で、イスラム系移民の性犯罪の被害を受けた女性に対しては口封じをします。
日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることです。その憎悪の感情は、過大な自己評価ゆえに、周囲が自分を正当に評価していないと不満を持つことから生じている場合が多く、早い話が「ただの勘違い野郎(男女ともに)です。現実の左翼運動は、さまざまな種類の人間の複合体で下記のように分類されます。
1.中核層
自らが属する社会を憎み、それを破壊することを目指す人たち。見せかけの理想を掲げて活動を興し、その活動が社会の破壊に結びつくよう巧みに制御する。良心は無いが知的レベルは高い。わかりやすく言うと高学歴エリートで家庭は崩壊している。
2.利権層
上記の中核層に従うことで、活動資金や仕事(テレビ出演など)を得ることが目的の人たち。多くの芸能人などが当確します。
3.浮動層
中核層が掲げた理想に共感する人たち。正義感に基づいて行動するのですが、いい人と思われたいという虚栄心が心を支配しています。本人が疑問を持ち知識を身に着けると、騙されたと気づいて活動から去る人が多いのも特徴。
戦後、アメリカで行われた「赤狩り」の前に、初代FBI長官のジョン・エドガー・フーヴァー氏は、左翼(コミンテルン)を「公然の(共産)党員」「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」、「オポチュニスツ(機会主義者)」、「デュープス(騙されやすい人)」の5種類に分類していました。このうちの最初の3つが中核層、利権層がオポチュニスツ、浮動層がデュープスに対応しています。
『正直で頭のいい人は左派にはなれない』というレイモン・アロンの言葉に対応させると、中核層と利権層は『不正直で頭のいい人』であり、浮動層は『正直で頭の悪い人』です。それらの複合体が左翼という実体のない集合体です。
保守派は左翼と違って単純な人が多いために上で述べた左翼の全貌が見えていません。左翼はみな浮動層であると勘違いして甘く見る傾向にあります。しかし、その認識自体が完全に左翼の術中に嵌っているのです。左翼運動が巧みなところは、その運動において浮動層を前面に押し出すことです。中核層は基本的に表に出てきません。浮動層は善良な庶民ですから、左翼運動を叩く人は庶民の敵だとレッテルを貼れます。浮動層には悪意がないので、左翼運動の真の目的が破壊であるとの批判は濡れ衣に見えるのです。彼らには知性も感じられませんから、取るに足らない相手だと保守派は常に油断します。左翼運動の知性の高さは、その攻撃先の選定に見て取ることができ、例えば、日本の自然保護運動の場合、彼らは、ダム、堤防、防潮堤、基地建設、高速道路、リニア新幹線、地熱発電のように、日本の安全や経済にプラスになる開発行為の自然破壊は非難しますが、太陽光発電、風力発電、中国の珊瑚乱獲のように、日本にとって経済的・社会的マイナスが大きい自然破壊は問題視しません。中でも、発電に関する態度の違いは、それなりに知識がないとこのような見極めはできないでしょう。さらに左翼の頭の良さは、主力は上述のような攻撃先の選択をしつつ、それ以外の勢力はある程度意見を散らしている点にも見ることができます。これにより、批判されたときに傍流の人々を引き合いに出し、批判が不当なものであると反論できるように‟予め準備”しているのです。
左翼運動は、今後もその頭脳を駆使して庶民の味方を詐称し続けるでしょう。現実には、彼らは庶民に選択の自由を与えません。心底、庶民はバカだと思っているのです。自分の言いなりにならないものは、弱者であっても容赦なく叩きのめします。左翼はリベラリスト(自由主義者)とは最も遠い存在であるにもかかわらず、彼らはリベラルを自称し、その称号を社会的に広く認めさせることに成功しているのが現状です。因みに、日本の左翼は「左翼」と呼ばれることを極端に嫌います。且つての学生紛争の惨敗が脳裏にこびりついているのでしょう。左翼の欺瞞を示す最も有効な手段は、過去の共産主義国家、現在のチャイナが何をしたかを思い起こさせることです。彼らは、常に庶民(労働者)の味方であると自称した、今もしているにも拘らず、過去全ての事例において特権階級が庶民を虐げる社会が生まれる結果となり、現在もなっています。おびただしい数の人命も奪われ、人権が蹂躙されました。その歴史をできるだけ多くの人に直視させることが、共産主義の悲劇を繰り返さないために最も重要なことです。無知は社会を不幸に向かわせるのです。
環境運動に屈し学問の自由を失った大学を憂う叫び
オランダの物理学者が、環境運動の圧力に屈した大学に異議を唱えている。
執筆したのは、デルフト工科大学地球物理学名誉教授であり、オランダ王立芸術・科学アカデミー会員のグウス・ベルクート博士。「助けてくれ、私たちの大学に何が起こっているのか」という公開書簡が11月22日にオランダの主要日刊紙Da Telegraafに掲載された。
近年、私たちの大学におかしなことが起こっている。
教授たちは、教える内容に細心の注意を払わなければならない。活動家のイデオロギーにそぐわない科学的な結果を発表すると、彼らの生活は困難になり、クビになる危険性さえある。
いわゆる「コンセンサス」に参加することが、圧倒的に安全なのだ。
理事会は教授を守らず、それどころか、活動家の後ろに固まっている。
アムステルダム大学は、すべての学生が 覚醒(”woke “)すべきだと考えている。もはや、才能を伸ばすことは考えていない。代わりに、白人で異性愛者で真面目な学生に、ひたすら罪悪感を抱かせている。なにしろ、彼らの祖先は血にまみれており、彼らは新しい世代を抑圧しているのだから。
ナイメーヘンのラドバウド大学は、気候活動家に屈し、すべての学生に持続可能性の物語を教えなければならないと決めた。気候危機がその中心だ。だが、それが科学的に正しいかどうかは、ここでは問題では無くなった。
私の出身大学であるデルフト工科大学は、最近、「気候大学」というおしゃれなラベルを採用した。この大学でも、太陽電池パネルや風車、バイオマス発電所で解決しなければならない人為的な気候危機があると学生に教え込んでいる。批判は許されない。しかし、私は理事会に言いたいが、大学は偏りのない知識の交換のための聖域でなければならないのではないか? デルフト工科大学では、全員がイデオロギー的な拘束を受けているとしたら、議論はどれほど自由なのか? このような大学に自分の子供を通わせたいと思うか?
更に、デルフト工科大学は、EUのエネルギー政策を主導したとして、Timmermans EU副委員長に名誉博士号を授与した。しかし、氏はそのエネルギー政策で計り知れないダメージを与えている。彼はバイオマス発電所の偉大な擁護者だが、これは大規模な伐採によって長年にわたり固有の生態系を破壊した。氏はまた、風車で持続可能性が達成できると信じている。デルフト工科大学のような技術系大学の人々は、本当は、このような政策が技術的にも科学的にも無意味であることをよく知っている。
大学は、科学の発展にとって不適切な方向に進んでいる。科学と政治の利害関係が強く絡み合っている。その結果、批判的思考や真実の探求は、もう何年も前から、出発点ではなくなってしまった。
理事会が念頭に置くべきことは、大学とは、新しいアイデアが生まれて育つ繁殖地であらねばならぬ、ということだ。そのためには、新しい考え方が歓迎され、学生が才能を発揮できるような、刺激的な研究・教育環境が必要だ。
悪いアイデアを排除するために必要なことは、論を立てること、意見を交わすこと、検証を行うことだ。決して、創造的な心を封じ込めてはいけない。
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