インドの時代
下記の記事にあるように、モディ氏と安倍さんは親密でした。第二次安倍内閣発足後、一番初めに安倍さんが飛んだのはインドです。モディ氏も十分その意味と誠意を理解していました。イギリスの植民地だったインドの独立に日本は大きく貢献しましたが、インドにとって国境を接する不浄の国チャイナは常に敵国でした。チベット問題で中印が対立。1962年にチャイナはインドへ侵攻します。これで中印の対立は決定的になり今も国境紛争を繰り広げています。チャイナの侵攻から10年後の1972年にニクソン訪中。日中国交正常化とインドにとって面白くないことが続きます。対中バランスをとるためにインドはソ連と仲良くなり、軍装備品を購入してインド軍の拡張拡充を行います。ソ連も常にチャイナと揉めていたため露印関係は親密でした。以降、インドはチャイナと仲の良い日本とアメリカを敵国としてみてきました。
インドとの関係が変わってきたのはこの10年くらいです。米中競争が激化していくであろうと考えたモディ氏はアメリカに近づきます。ちょうどその時、安倍総理が誕生しインドをグッと西側へ引き寄せたのです。安倍さんの国葬でも多数の国賓の中でモディ氏が一番早く日本へ来日されました。「一番最初に来たかった」とご本人が話されています。カーストという制度を日本の教科書では身分差別の象徴のように教えてきましたが、カーストというのは日本の士農工商と同じく差別ではなく職業区別の制度です。インドの国土は広く、他民族、他宗教、多言語ですが、地方を治める各々の豪族が地域の安全と生活を守らなければならないというように、日本の幕藩体制に近いものがあります。貴族階級がある故に文化的教養がある層もいます。日本と同じく、「約束(条約や契約)を守る」国なのです。
安倍さんが「インド太平洋安全保障」を唱え、「インドは新しい友人だ」と世界に発信した結果、英仏独をはじめとするEUもASEANもオーストラリアも、「次のパートナーはインドだ」と近づき始めました。安倍さんが世界史を動かしたのです。
日本国内は55年体制の崩壊で新しい日本ができたように誤解されていますが、田中元総理が行った日中国交正常化でできた親中シンパのダムを決壊させた安倍さんの功績は大きく、鈍感な国会議員は今後も外堀が削られて消滅してゆくでしょう。
印モディ首相「私の友人、安倍晋三氏を思い出す」 日本大使に返答
インドのモディ首相が担当するラジオ番組が第100回放送を迎え、鈴木浩駐インド日本大使は故・安倍晋三元首相の言葉を引用し祝辞を送った。モディ氏は「私の友人、安倍晋三氏を思い出します。親切な言葉をありがとうございます」と返答した。
モディ氏のラジオ番組「マン・キ・バート」は2014年に開始。国民向けに政策や理念を語る。放送エピソードをまとめた書籍を2017年に発刊しており、寄贈を受けた安倍氏は祝辞を送っていた。
安倍氏は次のようにしたためている。「首相としての困難な仕事をこなしながら、毎月1時間のラジオ番組で話すことは並ならぬ努力が必要です。人々との対話への強い情熱を感じずにはいられません」「アジアの二大民主主義国家である日本とインドは、インド太平洋地域の平和と繁栄を率いるという特別な使命を負っています」
鈴木氏は3日、「マン・キ・バートの100回目の放送、おめでとうございます。番組は故安倍晋三首相の言葉にあるように、対話への強い情熱を反映しています」とツイートした。また、モディ氏が第89回の放送で、アジア諸国でインド舞踊を上演する日本のアーティストたちの存在に触れ、日印の文化交流について語られたことにも感謝を伝えた。
鈴木氏は官房長官ならびに総理大臣時代に秘書官として安倍氏を支えた外交官。外務審議官(経済担当)を経て2022年インド兼ブータン大使に就任した。
安倍氏の打ち立てた「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」は、岸田政権後も政策理念として語られている。岸田氏は3月のインド訪問時、現地シンクタンクでFOIPに基づく政策スピーチを行なった。岸田氏は歴史的な転換期にある国際社会のなかで、FOIPの中核的な理念は従来以上に重要となると強調した。
モディ氏との首脳会談では、昨年9月の日印2プラス2の開催以降初となる戦闘機共同訓練をはじめとする安全保障分野の協力を歓迎し、日印の旗艦プロジェクトであるムンバイ・アーメダバード間の高速鉄道事業の推進を確認した。
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