松浦氏
元民主党国会議員で自らもゲイであると公表している松浦氏。先日著書を読みましたが、元民主党だとかゲイだとか関係なく、よく書けていました。9割以上の内容が‟仰る通り”。1割ほどの内容が私の知らない事でした。
だいたい、何故、今、この問題が賑やかしているのかすら、殆どの高齢者や田舎の方に関係ない事で、そのほとんどの方が『実質的な有権者』ですから、筋の悪い話なのです。もっとわかりやすく言えば【時間の無駄】。
国会で性別の定義変更の議論が始まろうとしている
松浦 大悟
2021.04.23 06:30
いま国会で、実質的な性別の定義変更につながる議論が始まろうとしていることをご存じだろうか?
4月13日、LGBT議員連盟事務局長である公明党の谷合正明議員は、役員会を開いたことをツイッターで報告した。自民党案のLGBT理解増進法、野党案のLGBT差別解消法、そして性同一性障害特例法の見直しについて、今後の議論の進め方を確認したという。また、特例法の見直しには、年齢要件、非婚要件、未成年の子なし要件、手術要件、ICDに沿った名称のあり方といった論点があることを明かした。
これだけを聞いても一般の国民には何のことだかさっぱりわからないだろう。「え? LGBT法には与党案と野党案があるの? トランスジェンダーの人たちもテレビでよく見かけるようになったし、こうした政策はどんどんやってもらいたいよね」といった感想を持つ人が大半ではないだろうか。だが話はそう簡単ではない。
2003年に成立した性同一性障害特例法は、身体的性別に違和を覚える人たちが、生殖腺を取り除く手術を行うなどの要件を満たすことで、戸籍上の性別変更を可能とした。ところが日本学術会議は、この特例法を古い制度だと断定し、廃止することを政府に提言した。もはやWHOが性同一性障害は精神疾患ではないと表明したのだから、わが国も手術要件をなくし、簡易に戸籍の性別が変えられるようにしようというのだ。身体の治療に主眼を置くのではなく、性自認のあり方に焦点を当てた人権モデルへの移行を強く要望した。
キーワードは「性自認」という概念だ。左派のLGBT団体は「性同一性」ではなく「性自認」という用語を採用してほしいと、いま必死に議員会館をロビーイングしている。それはなぜか?
もともと「性同一性」も「性自認」もGender・Identityを翻訳したものだ。しかし日本語にしたことで別のニュアンスが入り込む余地が生まれた。性同一性の「同一性」とはアイデンティティのことであり、過去も現在も未来においても、自己の性別に統一性、一貫性、持続性が求められると同時に、社会からどう見えているかが肝要になってくる。一方の性自認にはアイデンティティの意味が反映されないので、時間軸も社会軸も関係なく「自分の性別は自分で決める」という思想が侵入するようになっていった。つまり自己申告で性別の変更ができるようにするためには性自認という言葉の方が都合がよいのだ。
さて、そうするといったいどうなるだろうか。精神科医の針間克己氏は、「自称性同一性障害と本物をどう見分けるか」というタイトルでブログ記事を書いている。結論から言うと、現在においても自称と本物の鑑別は専門医であっても困難だということ。診断は彼らの主観をベースにするしかないのだから、手術要件をなくしてしまえばほぼ要求が通ってしまうことは容易に想像がつく。女性になった自分の姿に性的興奮を感じるオートガイネフィリアが、マニュアル通りの受け答えをして診断書を書かせたという話はネット上にごろごろ転がっている。精神科医は当事者から「門番」と疎まれており、GID学会では医師である理事長の解任動議が何度も出されている。しかし本当に性別を自分たちだけで決めることに問題はないのだろうか。
自己申告で性別を変えられるセルフIDを導入した海外ではすでに混乱が生じており、日本の女性たちからも不安の声が上がっている。男性器のついたトランス女性が女性専用シャワールームに入ってきても注意した人が警察に通報されたり、女性刑務所に収監された男性器のついたトランス女性が女性受刑者に性暴力を繰り返したりといったニュースは後を絶たない。
またアメリカでは、性別適合手術をしていないトランス女性が女子スポーツに出場するようになり、上位入賞を独占している。「身体的男性が身体的女性と競うことをあなたは公平と思うだろうか」と悲痛な面持ちで訴えた女子高校生アスリートに元オリンピック選手の為末大氏は驚き、「ここから連なるツイートを是非読んでください。公平性とジェンダーの自己決定は競技の場で対立するという話です」とツイッターに投稿した。
その後、ミシシッピ州では、トランス女性が公立学校の女子競技へ参加することを禁止する法律が成立。20以上の州議会で同様の措置が検討されているという。為末氏は「こうせざるを得ないと思います」と再びツイッターに書きこんだ。昔からLGBTを支援している為末氏としては、断腸の思いでの「線引き」だったのではないだろうか。
バイデン政権は、下院でトランスジェンダーなどへの差別を禁止するLGBT平等法を通過させた。だがレズビアンを公言しているプロテニス選手のナブラチロワ氏は「LGBT平等法は不平等だ」と異を唱えた。トランス女性選手が、これまでの生得的女性選手の記録を次々と塗り替えていることへの怒りからだった。バイデン大統領が強く打ち出したLGBT政策は、トランプ氏とは違う形で再びアメリカを分断させようとしている。
日本において考えなくてはならないのは温泉や銭湯の問題だ。たとえ男性器がついていようとも、法的に女性となった人を女湯から排除することは差別になるからだ。トランスジェンダー活動家は「私たちは権利を獲得してもその権利を行使することはない」というが、それは個人の善意に期待している話に過ぎない。そもそも権利を行使させないこと自体が差別に他ならない。日本学術会議は「男性器をつけて女湯に入ってくる人は刑事罰で訴えればいい」という。しかし仮に野党案であるLGBT差別解消法が成立すれば、訴えた人間が差別主義者として糾弾される可能性は高い。
LGBT差別解消法は、各地に地域協議会を作り、ご当地のLGBT団体や識者がメンバーとなり、持ち込まれた差別案件を審査する。何をもって差別とするかは明記されておらず、「女湯から排除され傷ついた」とトランス女性が駆け込んできた場合、間違いなくマスコミは大騒ぎする。協議の結果、銭湯の事業主が「シロ」と判断されても後の祭り。連日のようにワイドショーで非難された暁には、名誉の挽回などできはしない。第二の人権擁護法案といわれる所以だ。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「日本ではいまだに断種が行われている」と海外に発信している。確かに健康な体にメスを入れたくない当事者の気持ちはわかる。しかし自分の体の違和感に苦しんでいた人たちは強制されて生殖腺を除去したわけではない。外圧を利用して国内での議論を加速させようとしているのかもしれないが、手術を終えて社会に溶け込んで静かに暮らしている人まで貶める必要はない。
トランスジェンダーの人権と生得的女性の人権がバッティングしているのが今の状況だ。クィア学者は「いまだって男性器付きのトランス女性は女湯に入っているが生得的女性たちは気付かない。その程度のものだ」という主旨の発言をするがそういう問題ではない。難しい連立方程式をどう解きほぐしていくか、国民全体で知恵を出し合わなければならない。性別の再定義という大テーマを、当事者や一部の学者だけで決めていいはずがないのだから。
BuzzFeedが誤魔化すLGBT問題の三論点
松浦 大悟
2021.05.13 06:30
先日アゴラに掲載した筆者のエッセイに、BuzzFeedが反論してきた。筆者が応答する義理は何もないのだが、せっかくなのでこれを奇貨とし、改めて既存マスコミが伝えないLGBT問題を深掘りしてみたい。
BuzzFeedの記事には三つの誤魔化しがある。
一つ目の誤魔化しは「トランスジェンダーとは誰のことか」という論争についてだ。以下の図を見てほしい。
トランスジェンダーというと、世間では生殖腺を除去して男性/女性に性別移行した性同一性障害の人というイメージが定着しているがそうではない。
トランスジェンダーというのはアンブレラターム(各種別を包括した総称)のことであり、大きな傘の下には、性別適合手術を必要としないトランス男性/女性、クロスドレッサー(異性愛者の女装家)、女性になった自分の姿に性的興奮を覚えるオートガイネフィリアなどもぶら下がっている。性同一性障害者はその中のひとつのカテゴリーに過ぎない。
多くの国では、こうしたトランスジェンダー全般に手術なしでの自己申告による性別移行を認めているのだ。
BuzzFeedは「女湯に入ってくるのは『なりすまし』だ」「シスジェンダーの『なりすまし』はトランスジェンダーではない」と主張するが、性自認が男性の女装者もトランスジェンダーだということを意図的に隠しているように思える。だから生得的女性たちは、不安に駆られて夜も眠れないのだ。まずはトランスジェンダーの範囲を確定してほしいと生得的女性たちは何度もジェンダー学者にお願いしたが、「トランスジェンダーを定義づけること自体が差別。運動を分断することにつながる」と彼らはいつも口を濁す。
これは今年1月に行われた東京都千代田区議補選に立候補したあたらしい党の公認候補者の選挙ポスターだ。彼は「フルタイム女装のシスヘテロ男性(三児の父)」といいながら、一方で「LGBTs当事者」を名乗り、女性専用車両や女子トイレを利用している旨をTwitterに投稿し批判を浴びた。
だが日本学術会議の提言通り、現行の性同一性障害特例法を廃止して、手術を必要条件としない性別記載変更法が新たに成立すれば、彼のような身体に拭い難い違和感があるわけでもない異性愛者までもが望めば法的女性になれる可能性が出てくる。
なぜなら彼は、世界標準に照らし合わせると、ジェンダー表現においてれっきとしたトランスジェンダーだからである。これは国民が抱いているイメージとはかなり違うのではないだろうか。だからこそ、性同一性障害特例法の再検討作業で必ず出てくる論点だともいえる。
BuzzFeedはLGBT議連で手術要件の見直しをすると決めたことはないというが、手術を経ずに自己申請で希望した性別に移行できるのが世界の潮流であり、当事者からの強い要望もある中で、わが国だけが何も審議をしないということは考えにくい。
今国会では時間切れかもしれないが、手術要件の撤廃が議論のテーブルに乗っていることは暗黙の了解だろう。国会議員はダイレクトな表現では取材に答えない。声高にそれをしゃべれば騒ぎになり、通るものも通らなくなるからだ。
特例法の見直しには、年齢要件、非婚要件、未成年の子なし要件、手術要件、ICDに沿った名称のあり方といった論点があり、昨日は未成年の子なし要件の排除の法的な影響について法務省の見解を確認した次第。 https://t.co/HiNA6Uv573
— 谷合正明 (@masaaki_taniai) April 14, 2021
さて、BuzzFeedの二つ目の誤魔化しは、性自認と性同一性という用語について当事者や弁護士、支援者、医師を取材したところ、「いずれもGender・Identityの和訳で同じ意味」と認識している人ばかりだったという点だ。
本当にそうだろうか。社会学者、石田仁氏のTwitterへの投稿を見てみよう。
佐々木掌子さんや及川卓さんは、「性自認」を使わない。一貫して性(別)同一性。心理、精神力動に着目する専門の研究者は、gender identity概念に「認」の字を使わない。
心理学の「認知」概念の指す意味を知らない人たちが、概念に込められた意味を勉強するわけでもなく、「性自認」を多用する日本。
— 石田 仁 (@ishida_hitoshi) March 28, 2019
このTwitterからもわかるように、これまで少なくない研究者が性自認と性同一性の意味論の違いに自覚的だったことは間違いない。
臨床心理学を教える佐々木掌子氏の主著『トランスジェンダーの心理学』を読めば、彼女の性同一性という言葉への強いこだわりを誰しも感じ取ることができよう。
ところがBuzzFeedは自らの論調に都合の悪い事実をなかったことにしていく。
批評家の東浩紀氏は、リベラル派による歴史修正主義が台頭してきたことに警鐘を鳴らす。米ハンナ・アーレントセンターが『ドイツのための選択肢』という極右政党の理論的指導者マーク・ヨンゲン氏を招いて講演させたところ、「極右に言葉を発する場を与えることは彼らを利することになる」とリベラル派から猛攻撃された事件があった。
本来であれば自分とは反対の立場の人にも言論の自由を与えることがリベラリズムの要諦だったわけだが、「自分の意見と反対の人にもチャンスを与えるというのは悪しき相対主義であり、そんなものはリベラリズムであったためしがない。言論の自由というのは良き市民社会を守るための手立てなのであってレイシズムや極右は排除すべきものなのだ。昔から、そうしていたのだ」と従来の研究の積み重ねが書き換えられようとしているのだ。「これは大変怖いことだ」と東氏は懸念する。
このようなリビジョニズムはフェミニズムの分野にもある。
オンラインでの開催となった今年の東京レインボープライドは、『LGBTQを知る15選』と題した動画を配信している。その中の一つ、クィア理論を専門とする東京大学の清水晶子教授の講義を見た武蔵大学の千田有紀教授は、率直な違和感をFacebookに書き連ねている。
清水氏はフェミニズムとは制度を問う議論だと解説し、第二派フェミニズムの標語として「個人的なことは政治的なこと」を紹介する。
しかし千田氏は、第二派フェミニズムの特徴は、「私」から出発するが決してすぐには制度の問題にいかなかったことにあり、「個人的なことは政治的なこと」ではなく「個人的なことは政治的である」というのが普通だと述べる。そして「自分はフェミニストではない」といっていた清水氏が、最近はフェミニストを名乗るようになったことも訝しがる。
かつて千田氏は雑誌『現代思想』において、生得的女性を攻撃するトランスジェンダーを諫め、トランスジェンダー問題については私たち全員が一度立ち止まって考える必要があると問題提起した。ところが「それはバックラッシュだ」とSNSで総攻撃に遭い、たまりかねてTwitterのアカウントを削除した。その後、メディアでは、トランスジェンダリズムに影響を受けた学者の発言力が高まっていったと筆者は感じている。
三つ目に指摘したいBuzzFeedの誤魔化しは、「差別とは何か」についてだ。
日本のLGBT活動家は「自分が今日から女性だと言えば女湯に入れるようになる」という言説をトランスフォビアだと批判するが、国際標準ではこれを認めないことが差別とされる。
トランス女性の女湯問題はリベラリズムの限界を考察する上での教科書にもなる。内と外の間に線を引き、内側には差別なく再分配するのがリベラリズムの原理だ。
我々は、戸籍上も女性となった人を男性器がついているという理由だけで女湯から排除する「差別を内包した国家」を選ぶのか。それとも、戸籍上も女性となった以上は男性器がついていようともあらゆる場面で生得的女性と同じ権利を行使できる「差別のない国家」を選ぶのか(トランス男性の場合も同様)。
学者は牧歌的に「未手術の人は事業者が判断して銭湯に入れなければいい」というが、それは差別国家を容認していることと同義だ。議論を尽くした末に「一定程度の差別は仕方がない」と国民が諦念を感じながら意識的に選択するならまだしも、LGBT活動家や学者は問題点から目をそらさせ煙に巻こうとしている。
国民が知らない間に前者の法律が決まってしまえば、私たちは自己決定したわけではないのに差別をする側の人間にされてしまう。だから多くの生得的女性たちは悩み苦しんでいるのである。
以前トランス男性が起こした『法律上も父になりたい裁判』は最高裁で勝訴した。人工授精で出産した妻の子どもの父親とは認められないとの行政の対応は間違いであり、戸籍上女性から男性になったからには差別的取り扱いをしてはならないとの判断だった。
もし法的に女性となったトランス女性が女湯に入ることを阻まれたとしたら、司法は平等性の観点から同じような判決を降すのではないか。「本物かまがい物か」といった類のジャッジを司法が行い、女性専用スペースへの立ち入りを禁止するとは思えないからだ。
でもそれでは生得的女性たちが困ってしまうことも事実。性暴力の心配がよく言われるが、間近に男性器を見ることが恥ずかしいといった「羞恥心」の問題もあるだろう。
リベラリズムでは解決できない難題に、我々はどんな説得的理論を構築することができるだろうか。
「大人の知恵」という曖昧さに逃げず、とことん突き詰めて思考する胆力が求められている。法律に「穴」がないかを熟考することは差別ではない。差別だと言い募ることで異論を封殺してはならない。
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