こういう時代に戦うこと

ロシアのウクライナ侵攻に関して、一時的にロシアに譲歩してでも市民の犠牲を最小限にすべきだ、という考え方を示す人がいます。テレビのコメンテーターや元学生運動崩れはしたり顔で言います。主張や論理の細部を別にすると、橋下徹元大阪府知事とテレビ朝日のコメンテーター玉川徹氏、2人の論調はSNSでも騒がれています。こうした人たちの念頭にあるのは、たぶん、太平洋戦争末期の日本の姿で、それは無知からくる誤認です。勝てる見込みもないままに戦争を長引かせたために、多くの国民の命が失われたのは事実です。一方で、こうした論者には完全に抜け落ちている視点や歴史認識があります。

ウクライナにロシア軍が侵攻した。軍事的にいえば、すべての面でロシア軍はウクライナ軍を圧倒し、戦闘だけをとれば、100回やっても1度も勝てないでしょう。すでにハリコフ、キエフ、その他の主要都市が包囲され、包囲網の外側から内側へ向けてミサイルや戦車砲を一斉に打てば勝敗は決するはずです。しかし、無理押しをしているプーチンが時間がかかっているのは、世間様に少しでも顔向けできるように、こじ付けのロジックでも押し通せるように、ウクライナの人々を追い出すのに時間をかけているからです。  プーチン大統領が求めているのは「非武装化」と「中立化」だと自ら述べていましたが、なにをもって非武装とするのか、中立とするのかはハッキリせず、要はプーチンが決める、気に食わなければ「非武装化」、「中立化」ができていないとあくまで服従を求める。つまり、彼が求めているのは「なんでもいうことをきけ」という無条件降伏です。  そもそも「非武装化」で丸腰になったら、ロシアが何をしてきても抵抗もできません。「中立化」もEU諸国には一切近づくな、ロシアの属国でいろ、ということです。ですから、ウクライナ人は徹底抗戦しているのです。オレンジ革命以後、困難を乗り越え、営々と築き上げてきた今の国の姿を変えさせないために、戦車の前に立ちはだかり、ロシア兵の周りに群がって「ウクライナから出ていけ。ここはお前たちのいるところではない」とシュプレヒコールを続けているのです。男たちは、国境まで妻と子供を送り、涙の別れをしたあと、戦うためにウクライナ国内に引き返していきます。

ところが、日本人の一部は、「なぜ、国なんか捨てて家族と一緒に逃げないのか」 「命の方が大事なのだから、国のために戦う必要はない」 「ロシア軍に勝てるわけがない。無駄な犠牲を払うより、さったと無条件降伏したほうがいい」。そんな言葉がSNSで飛び交います。 これにたいして在日ウクライナ人はツイッターで、家族を愛し、ウクライナの人々を愛し、国を愛しているから、それらを守るためにロシア軍と戦うのであって、それは当たり前のことだ。むしろ、彼らは、なぜ日本人がそんな当たり前のことに疑問を投げかけ、批判するのか理解できないと言っています。彼らからすれば、逃げれば命は助かるだろう。しかし、2度と自分達の街には帰ってこられない。帰ってこられても、自分が住んでいた家には別の人間が住んでいて、街には違う人々がいるかもしれない。国の姿もすっかり変わってしまっているかもしれない。なぜ、こんなことが日本人にはわからないのか。日本人には国を愛し、それを守るために戦わなければならないという意識はないのか。

いま、問われている日本人という存在、疑心を持たれている日本人という愛国心が見えない存在に対し、明確な答えを、確かな言葉で発言してくれる人が、きしださんに変って総理大臣になるべきなのです。

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